救急車 日本とアメリカ

帰国して約8年以上がたつ。最近になって改めて気づくことの中に、日常にパトカーを見ることが少ないことだ。一方、高齢者社会が進む世の中の流れなのか救急車はよく見かける。また母が脳梗塞で搬送された際に同伴して「救急車に乗って分かったこと」は、歩行者や自動車などが、即座に道を開けてくれないということ。またその実情がインターネット上のブログなどで綴られているのを見つけたことにもよる。
国道で通勤・帰宅ラッシュの運転中に後方から、時々救急車が急いで来る時があるが、その音や車体のささやかさにアメリカとの差をどうしても感じてしまう。ニューヨークの救急車に比べると、運転態度とサイレンは切実な急務を訴えてまるで脅迫に近いものさえ感じるほどの凄みをきかしている。前方車に即座気づいてもらい、道を開けさせるには日本の救急車では、表現力があまりにも優しすぎて、窓をしめラジオなど音量を上げて聞いていようものなら、かなり接近してからでないと気づけないと考えるのは私だけなのだろうか。

それでは実際に機器の何が違うのか、まず本題に入る前にトップの写真を見ればアメリカ製はかなり重厚なボディーとわかる。サイレン、ライトと運転態度の3つの点から比べてみる。まず、サイレンでは基本的に3つの音を使い分けている気がする。ニューヨーク州が救急車に許可している音の種類の例がサイレン音作成会社のホームページに挙げてあったのでここで引用する。その中には※1「ベル、クラクション、サイレン、電気サウンド用機器の装着など、必要に応じて排気笛」音だけでも3,4パターンからあり交差点や人通りの多い所や車が混雑している時など、使い分けて経験上どれもかなり攻撃的、命令的で圧迫感を感じた覚えがある。下記の表現はアメリカの救急車装備への規制の一部だが、reasonably necessary ー 適当に必要とでも訳そうか、reasonablyのとり方、感覚の違いを感じざるを得ない。

※1 “bell, horn, siren, electronic device or exhaust whistle as may be reasonably necessary”

またパトカー、救急車や消防車などの車体の屋根で反射鏡が回転しながら赤い光を放つ「散光式警光灯」と呼ばれるものに関してもサイレンの場合と等しく、その威力の差は歴然と感じる。車体に関しても同じことが言える。そして警光灯に関しては、※2少なくとも一つのライトで、平常環境下で少なくとも500フィート(152.4m)離れた場所に届く光を使用することを救急車に求めている記述が規程として政府規定サイトにはあった。実際には赤、青の組み合わせで、白く眩しく光り、カメラ撮影に使われるようなストロボフラッシュを何度も交差点など危険なエリアで発することが多かった記憶がある。

※2 “the vehicle is equipped with at least one lighted lamp so that from any direction, under normal atmospheric conditions from a distance of five hundred feet from such vehicle, at least one red light will be displayed and visible.”

サイレンと 散光式警光灯、そして車体のどれをとっても実際の動画を見て頂けると一目瞭然だ。下記にリンクを貼っておくので是非参照して頂きたい。(日本の動画例はここでは控える)

救急を要する病人を1秒でも早く病院に送り届ける救急車に気を使い、道を譲るのも当然だが、以上のような状況が続く限り、海の向こうに少々見習って効果を確かめてはどうだろうか。

引用ホームページ: The Operation Of Emergency Medical Services Vehicles http://www.health.ny.gov/professionals/ems/policy/00-13.htm 動画:
交差点:0:50〜1:00、4:05〜4:15
渋滞中:1:05〜1:15、2:05〜2:15

https://www.youtube.com/watch?v=6xtr_bTGcH8 夜間での走行
https://www.youtube.com/watch?v=pXIGusbWpUs

世界の新聞社これからの立ち位置

以下は一般論として書いている。

  新聞社は、歴史上かつて無い、大きな岐路に立たされている。いま新聞社は報道力を維持するために重要な選択を迫られている。つまり人口減や新聞紙離れによる収益減がこれから予想されるからだ。購読者が減ると広告効果が落ち、主収入減に行き着くからだ。

そのため、他社では2017年末に、それらの点を視野に入れた値上げが何社かで行われた。(西日本新聞、岩手日報など)

なぜ今? 日経新聞が23年ぶりに購読料値上げ。紙の新聞の行方は…
https://www.excite.co.jp/News/economy_g/20171007/Toushin_4232.html

新聞を読まない理由は何だろう(最新)
http://www.garbagenews.net/archives/2238523.html

また話はそれるが、新聞社が土地を有しているなら今が「売り」ではないだろうか。なぜならオリンピック景気などによる不動産バブルも2020年以降はじける可能性があるからだ。それでなくても値段は住む人、購入する人が減れば自然に下がる。また現時点でさえも値上がりしているのは東京のみという感もある。

そこで将来を見据えた選択肢として2つの可能性が想像される。

1,日本の新聞社一同、団結し、法に触れなければ新聞社一同全国全社で労働組合的な団結交渉がキュレーションサイトや広告業者に対して新聞社団体を守るための新契約条件が必要になってくる。契約内容は、もちろん記事への対価、広告の新単価となる。

2,無料でのオンライン配信を一斉にやめ、全ての記事は有料とする。またキュレーションサイトへの無料情報二次配信の構造に全新聞社団結して終止符を打つ。読者は有料記事サイト、または新聞の購入促進を図ることが出来る。また記事は無料ではないという印象を植え付けることも可能となる。

言うまでもないが、実際に記事は記者が足を遣って聞き歩き裏付けを調査し時間を掛けて作成している。

ネット読者が既存の記事量やクオリティを維持したいと考えるのであれば、記事の支持=支払という意識が改革につながる。

いい例として音楽の違法ダウンロードがある。お金を支払ってはめて聴けるのが普通だ。しかし記事に対しての著作権対価はどうだろうか?本も音楽と同じように普通にお金を払って購入する。それと同じことだと考えられないだろうか。

話を戻すが、配信されている情報がいかに読者や新聞社員の生活に重要か理解でき、更には読者は社会構造を意識できる。また取得や理解が面倒だが生活に重要な情報は、その多くが新聞社によって読者に読みやすくいままで配信されていたのかを理解するいい機会につながるかもしれない。

いまのままの状態は長く続かないことだけは確かだ。